きっかけは次のニュースだった:
[カイロ 8日 ロイター] エジプトの考古学者らが紀元前24世紀にエジプトを支配した王の母親、シェシェティ女王とみられるミイラの一部を発見した。エジプト政府が8日、明らかにした。(ロイター)
「シェシェティって誰?」と調べ始めてしまった。で、Wikipedia の「ミイラ」の項を見て、女王の名前なんかどうでもよくなってしまうような面白い記述を、古代エジプトのミイラの作り方の箇所に発見:
… 内臓の摘出には開腹手術をおこなったが、脳の場合には頭蓋骨を開かず、鼻から鉤状の器具を挿入して取り出したらしい。現代人からすれば脳を崩してしまうことは復活の条件を失わせることのように感じられるが、理性の宿る場所を脳と見做さなかった当時においては死後身体から離れた魂にこそ霊性が宿るとの観念に立てば、心理的抵抗は無かったと考えられる。古代エジプト文明においては、脳は鼻水を作る為だけの器官と考えられ、捨てられていた。むしろ心臓が理性の場と考えられたため、これは取り出さず死体に残された。… (Wikipedia 日本語版「ミイラ」より)
最近、鼻水が止まらないのだが、脳が活発に働いていたのか。(笑)
理性の場が脳であるという認識は、昔の人々には無かった。それは古代エジプト人に限らず、例えば、古代ギリシャ人は横隔膜にこそ理性が宿ると思っていた(「カリフォルニア時間」さんに詳細な記述があるのを発見)。
一方、古代のインドネシア(マレーシア)あたりの人々は、たぶん肝臓に理性の場があると思っていた。以下は、その説明で、論拠はインドネシア語の単語 hati。 この名詞にはいろいろな意味があって、KBBI 第3版には
hati n. 1. Anat. organ badan yg berwarna kemerah-merahan di bagian kanan atas rongga perut, gunanya untuk mengambil sari-sari makanan di dl darah dan menghasilkan empedu; 2. daging dr hati sbg bahan makanan (terutama hati dr binatang sembelihan); 3. jantung; 4. sesuatu yg ada di dl tubuh manusia yg dianggap sbg tempat segala perasaan batin dan tempat menyimpan pengertian (perasaan dsb); 5. apa yg terasa dalam batin; 6. sifat (tabiat) batin manusia; 7. bagian yg di dalam sekali (tt buah, batang, tumbuhan, dsb);
とある。用例が豊富に付いていたがばっさり省略。上の文を日本語に翻訳すると、
hati 名 1. 解剖学用語 腹腔右上部の赤みがかった臓器で, 血液中の栄養分を集めたり胆汁を分泌したりする; 2. 料理の材料としての肝臓の可食部 (特に屠殺したての動物の肝臓); 3. 心臓; 4. 人間の体の中のある一部分で, 全ての感情と意識 (感覚など) とを掌ると見なされている場所; 5. 心の中に感じるところのもの; 6. 人の心の性質 (あるいは性格); 7. (果物や茎や植物などに関して) とても奥にある部位;
のような感じ。いいかげんに訳したので、間違ってても知らない。日常生活での使用頻度では、 1 と 3 の意味で使われることは少なめで、2 と 5 と 6 はとても多めかな。 5 から派生した語 hati-hati も頻繁に使われ、例えば "Hati-hati, ada hantu" なら「お化けに気を付けてね」だ。
上述の通り、 hati には「肝臓」と「心臓」という全く別の2つの意味がある。おそらく古い意味は肝臓の方で、当時は理性の場も肝臓と見なされていたはず。ところが後に、理性の場を心臓と見なす考えが輸入され、理性の移動に伴って場の名称も引っ越し、 hati は心臓も意味する事になった。ということだと思う。
横隔膜
肝臓
心臓
脳
そこに理性が宿ると言われれば、たぶん、体のどの部位であってもそこにあるような気がするのだ。「頭を使って考えてるような気がする」のこそ、実は錯覚に他ならない。無用の知識が邪魔をしなければ、そんな「気がする」はずはない。という気がする。
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付記1: 「肝試し」とか「肝が小さい」などと言う時の、日本語の「きも」という単語が hati の 3 以外の意味範囲をぴったりカバーしている。日本語の古い形が残っていると言われる沖縄語で「ちむぢゅらさん(肝美らさん)」は「心が清い」の意味だ。何の事は無い、古代日本人も肝臓に理性が宿っていた。
付記2: 私が昔、インドネシア人に言葉を習いに行っていたころによく使っていた、故 谷口五郎編纂の「インドネシア語−日本語辞書」には hati の項に肝臓という意味が載っていない。このせいで、練習問題として出された文章の意味が分からずけっこう悩んだ。質問に対して、私の先生はインドネシア語と日本語を併用して一生懸命「肝臓」を説明してくださったのだが、その場では理解できなかったほどだ。理解できなかったのは、知識がある谷口五郎氏も同じだ。なぜなら、谷口辞書序文には KBBI の初版を参照した旨の記述がある(実際、用例と語義順はほとんどが KBBI のパクリ)にもかかわらず、 KBBI に「1. 肝臓」と書いてあるのをわざわざ訂正して「1. 心臓」としているのだから。
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