2008-04-23

チベット

この間、チベットで暴動が起きて、死者が出たりした。北京でのオリンピックともからんで、聖火リレーが妨害されたり、コースが変更されたり、大騒ぎである。

1998年の12月にチベットのラサへ行った。本当は北京にしか「用事」はなかったのだが、日本(TYO)を出発する前に、TYO NW BJS YY CTU YY X/BJS NW TYO END (YYのキャリアは忘れた) の航空券を用意し、北京(BJS)が終わったあと、成都(CTU)へ。成都という都市自体にも、なにしろ三国志の蜀の国の首都だったわけだし、麻婆豆腐あるいは担々麺発祥の地でもあるしということで、国民党が財宝を台北へ持ち去った跡地の北京よりは興味があった。

でも、実は、成都へはラサへ行きたくて寄っただけなのだ。当時も今も、チベット自治区へは「入域許可証」がないと、中国の入国査証だけでは行けない。航空券も現地でないと調達できない。ちょっとまえに、中国専業の旅行会社が日本国内からラサへ行く個人旅行を売っていたが、あれはどうやって仕入れたのだろう?けっこう困難な仕入れだと思う。

成都に着いて、目についた何件かの旅行会社に片っ端から「ラサに行きたい」と言って交渉してみた。5軒くらい断られたあと、店を出ようとしたら、私が交渉したのと別の小姐が後ろから声をかけてきた、「明日、また来て。なんとかするから」。で、実際、何とかしてくれた。

実はこのときは私の事前調査が不足していただけで、成都でバックパッカー御用達の宿「交通飯店」(私もここに泊まった)に隣接している旅行会社のどこかに頼めば、簡単に入域許可証と航空券が手に入ったらしい。なんだ、自分で面倒くさい道を選んでいたわけね。でも、旅行代金というのは日本国内であろうとみんなそうなのだが値段は有って、無いようなもので(知らなかったですか?そうなのですよ!)、同じ旅行会社の同じ小姐に頼んだとしてもケースバイケース。濃霧のため6時間も出発が遅れた飛行機を待つ空港内のカフェで近くにいた外人観光客たちと値段の話題になった結果、私の値段は平均よりちょっと安めだったからラッキーだった。まあ、ぼられていたとしても、その瞬間に適正価格であると思ったのならぼられたことにはならない、というのが私のポリシーなので他人との値段の比較はどうでもいいのだが。

で、ラサ。空港(現在の空港よりもっと市街地から遠い場所にあった)についたとき、「空が青い!!空ってこんなに青いんだ!」と思うと同時に、近くのものは黄色く見えた。たぶん、軽い高山病なんだと思う。

ぎゅうぎゅう詰めのバスに揺られて市街地まで行くと、中国の他の町のようななんだかくすんだ光景が広がって、ちょっとがっかり。でも、翌日から町をうろつきまわってよく観察すると、「中国の他の町のよう」な部分というのは、漢民族が居る地区や店だった。まあ、当然ですね。チベット人の居る地区や店は中国の他の町とは明らかに異なる。私はチベット人のほうが合うなあ、と思った。で、2つの民族は溶け合ってない、反目しあっているというのが、ラサの町をちょっと歩いただけでも感じられた。

で、今回の暴動。ダライラマの考えとか方針が変わる必要はない。中国の方が大きく変わらないかぎり、同じことがこれから何度でも起こると思う。中国のいわゆる「中華思想」は近隣諸国、近隣地域に対してはとってもよろしくない思想で、もっと、異文化に寛容になってほしいな。世界中のどの文化もとっても素晴らしく美しい文化だし、とっても奇妙きてれつな汚い文化でもあるのだから。「1つの中国」なんてスローガンは廃止して、とりあえず、簡単にできることとしては中国国内のタイムゾーンを複数にして欲しい(中国はあんなに広いのにタイムゾーン的には北京時間1つなのだ。だから、ラサとか居ると、時間の感覚がおかしくなってくる)。

とくに海外を旅行するとき、私は努力して寛容であろう、としている。そうすれば、どこへ行っても、なにがあっても、楽しいよ。

あ、そういえば、インドネシアも国是5ヶ条(panca sila)で「1つの民族、1つの言葉…」(Satu bangsa, satu bahasa...) なんて言ってるなあ。。。だから、アチェとかパプアとか東ティモールで揉めるんだよね。国をまとめるってのは、難しい。。。
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