2008-04-24

タイ語学校

今朝の「Able Baker」の記事で思い出した。

日本語でも、朝日の「あ」、イロハの「い」とかいう日本フォネティックコード(?)があるが、ほとんどの人は知らない。ところが、タイ語では事情が異なる。タイ人で文盲でなければ(要するにほぼ全てのタイ人が)、「タイフォネティックコード」(とここでは呼ぶことにする。正式名はコーカイ)を知っている。以下に述べる事情があるため、小学校低学年で叩き込まれるのだ。

タイ語の t には有気音(日本語の「た」「て」「と」の子音と思って良い)と無気音(「た」「て」「と」の子音なのだが、口の前にろうそくがあったとしてその炎を息で揺らさないように発音する)がある。ラテン文字(普通の abc... のことね)で仮に表すならそれぞれ th と t で書くことが多いが、これはあくまでも「仮に」である。 (th は英語の th の発音じゃないからね。念のため。)

ラテン文字で仮に th と書かれるタイ文字は、6個ある。つまり、タイ文字を読めない人のために、ラテン文字に転写したとすると、本来は6通りに書き分けられていたものの区別が無くなってしまうことになる。

th は一例であって、他にも ph(p の有気音)と転写されてしまう文字は3個、などなど。他にもいっぱいある。詳しく説明しないが、末子音となるともっとたくさんのタイ文字がラテン文字の1文字に転写されるという現象が起こる。(さらに、黙字というのもあって、発音に関係ないためラテン文字に転写するときには無視される。つまり、もっともっと、こういう現象が起こる。)

では、ラテン文字に転写したタイ語は発音できるか?というと、声調をアクセント記号などを使って別に記述すれば発音できる。つまり、ラテン文字+声調表記==発音である。すると、容易に推測できると思うが、タイ文字で表記すれば全くべつの綴りの単語なのに、(声調までこめて)発音は全く同じであるという現象が、実に頻繁に起こるのだ!

(もっとも、この現象は日本語でも頻繁に起こっていて、たとえば「せいし」と読む熟語は「生死」「静止」「精子」などなど、いーっぱい。英語だって例外じゃない。two と too、tale と tail などなど。)

というわけでタイ語で綴りを相手に伝える際、「いーとーうーひーさーしー」方式(はっきりと発音する方式)は全く通用せず、どうしても「Item-Tiger-Over-...」方式でないといけない。

この正月は、タイ北部のチェンマイというところで、タイ語学校に通っていた。私はタイ文字が読めるので、実力的には初級レベルなんだけど普通の初級のクラスには入らず、個人レッスンにして貰っていた。で、初級のクラスもちょっと覗いてみたんだけど、やってた、タイフォネティックコード。それこそ、覚えないと今日は帰さないわよってな感じで、先生がレッスンさせてた。あれ、教えるのも教わるのも大変。退屈な呪文。

実は私は、タイフォネティックコードを覚えるのを完全にさぼって、タイ文字が読めるようになってしまっている。辞書も引けるし、声調だって正確に発音できる(綴りの原則通りに声調が決定されるならば、という条件付き。覚えるしかない例外がいっぱいあるので)。このままだと、タイ語の綴りを正確に相手に伝えるときに困る、ということになるのだが、学校で生徒が先生にあてられて綴り方を答えさせられるようなとき以外の日常生活では、航空会社にでも就職しなけりゃそんな状況ってあんまりないよね(それにタイの航空会社はラテン文字使ってる)。

どうも、タイ語学校の先生たち(全員がネイティブスピーカー)は、自分たちがタイ文字を覚えた小学校の方式にこだわって、絶対にタイフォネティックコードを覚えないとタイ文字が覚えられないと思い込んでいるようだ。実は大人がタイ文字覚えるのなら、声調のない言語であるサンスクリット(あるいはパーリ)語における文字と発音の関係から入って、声調のある言語であるタイ語における文字と発音の関係に行く方が楽なのだ。タイ語の複雑で非論理的に見える母音の表記も実は論理的であるというのが、そっちから入れば分かる。辞書での順番もサンスクリットでの順番(調音点の順。ちなみに、日本語の50音図も室町時代(?)くらいの古語の調音点の順である)と同じだから、タイフォネティックコードを呪文のように唱えて順番を覚える必要はない。(ちなみに、私はサンスクリット語(現在のヒンディー語のもとになった古語)やパーリ語(南伝仏教の文書を記述するのに使われた南インドの言語)の知識は全くない。ないけど、そっちから入ったほうがいいのだ。)

でも、タイフォネティックコードに現れる単語を知らないと(私がそうなのだが)、個人レッスンの先生がものすごーくこわーい顔をするという副作用を覚悟しなければいけない。彼女にしてみたら、文字が完璧に読めるのにこの基本単語を知らないなんて、と不思議でしょうがなかったかもしれない。そういうものだと思う、外国語を学ぶ、教えるってことは。理解の仕方は、予備知識が違えば全く異なる。1つ目の言語の習得途中の白紙に近い状態の小学生と、最低1つは言語を完璧に習得している大人(とくに50音順という予備知識のある日本人)は学習法が違うべきなのだ。
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