お給料をちょっと前まで頂いていた場所(元の職場ともいう)に用事があって、水曜日に、東へ出かけた。できれば、もう、これを最後の訪問にしたい。
事務の有能なお姉さまが淹れて下さったコーヒーを啜りながら、彼女と、「生活ゴミや個人情報ですごく散かった部屋があったとして、いかに片付けるか」とか「故障していない電気製品を事務的に故障させるにはどうすればよいか」(このあたり、日本語が変かな?)という話題でなごやかに談笑していた。
すると、いつもは人の出入りがあまりない部屋のはずなのに、いろんな人(もちろん、みんな私の知人である)がドアを開けてくる。「あ、いとーさん、まだ生きてた?」とか「びっくり!ひさしぶりー」とか「感じ変わったんじゃない?」とか言われる。ええ、感じは変わりましたよ、すっごい気分屋さんが、ちょっとした気分屋さんに。
でもなぜか、私を苦手とするタイプの方々(「私が苦手とするタイプの方々」と言ってもほぼ同じこと)は現れず、ああ、私ってみんなに支えられて生きてて幸せ、と思える。こういうときは、ケータイの番号だって、「こんど連絡するから」と言われれば教えちゃう。クルーザーを操船してもいいらしい。わーい。潜水士免許ももってますから、船底掃除とかもご用命くださいねー。けん引も持ってますからボートトレーラーだって引っ張れちゃいますよー。えっ、別荘にもご招待してくださるの?
そんなこんなで、コーヒーでおなかががぼがぼになったころ、彼が現れた。
彼は、私が東へ行かなくなったのと入れ替わりに、東へ行くようになった人(別に、身代わりとか人質とかいうわけではない)。実は、私は彼を認識していなかったが、彼は私を昔から認識していた。「ほら、1993年に○×であった#$*@会で、いとーさん英語で喋ってましたよ。持ち時間と1秒と違わず喋り終わりましたよね。ずいぶん練習したんでしょ?」。ああ、なんという忌まわしい余計な記憶をほじくり出してくれる人なのだろう。あれはとにかく最悪だったのだ。もう時効、無かったことにしてるのに。(ちなみに、練習なんかしたことない。いつだって私は原稿もメモもなしのぶっつけ本番。)
幸せな気分、あんてーん。「ちょっと待っててくださいね。つまんない用事をすぐ片付けたら、また、来ますから、いとーさんそこにいて! 逃げちゃだめ!!」。まるで、レアな生物なみの扱いだなあ。はーい。逃げませーん(動けません)、どよーん。
さらに1時間ほどコーヒーを啜っていただろうか。お姉さまも、部屋の美化と電気製品の故障化のめどがついたので、もう、本来の職務に戻ってしまった。私はひたすらぼんやりしていた。すると、やっと、彼が戻って来た。
本当に良く喋る人だ。話題は過去の有名な日本の数学者のエピソードに限られているので、こちらは機械的に相づちが打てる。ごく表面的な話なので、数学的な頭も必要ない。でも、しばらく、忘れていた世界がそこにはあった。ああ、岡潔、佐藤幹夫。ええ、一松信の多変数函数の本、読みましたよ、でもあれわかってないで書いてますよね(具体的にあそことかこことか言っても、彼にはわからない)。自殺した谷山豊の全集、もちろん持って…ますよ。
愛読すると危険な本があるのは、私が気分屋さんだからなのか。金属の硫化物と希塩酸が反応する場合は硫化水素が発生する、って知識自体は別に自殺と無関係である。本だって無関係。でも、この危険な本は引っ越しの時に廃棄したのだが、彼には言わない。だって、数学がわかってないということも、人の気持ちがわかってないということも、彼はわかってないんだもの。
Nathanaël! quand aurons-nous brûlé tous les livres!
今回の記事はとくに意味がなかったね。それはよくわかってる。
(2行上は André Gide の "Les nourritures terrestres" より引用)
関連ページをYahoo!検索←この記事へのリンクを含むページを表示
Comments 0
コメントを投稿