2008-08-03

薀蓄たれる人

昨日、床屋の話を書いたことでふっ切れた。

この blog には個人的なことをあまり書かない方針だったのだが、ちょっと方向転換。個人的な話もこれからは書くことにする。

「薀蓄たれる人」が大嫌い。こっちが聞いてもいないのに、それはなんとかなんだよ、と得意顔で言う人。とくに、その「薀蓄」部分をこっちがすでに知っている場合が最悪。おもわず「存じております」とか応じてしまうが、この皮肉が通じることはなく、薀蓄のご開陳は止まらない。むしろ、相手が興味をもっていると勘違いして、ますます舌が滑らかになる傾向があるようだ。女性でこのタイプの人は見たことがないので、男性に特有なのかな。

「薀蓄たれ」が進行し日常生活に支障が生じるようになれば、りっぱに精神病として扱われる(DSM による精神病の定義がそれ。逆に言うと支障がなければ病気ではない)。私の知ってるのは一例だけだが、元教員だというその男性、初対面の人には人当たりがよく、面倒見がすごくいい。しかし、慣れてくると相手のやることなすことすべてにケチをつけ始める。「おまえは本当に○○が下手だな、こんなに下手なやつは初めて見た。こうやればいいんだぞ」とか「本当の○○は、こうだ。おまえのは間違ってる」などなど。

いろいろ面倒を見てやるということと、相手の行動にいちいちけちをつけるということは紙一重。

ダイビングに行った先で、病気といえないけれども、この手の人(仮にSさんと呼ぼう)と同じボートに乗り合わせるはめに陥った。私は無用なストレスをなるべく避ける人なので、逃げ場のないダイビングボート上でどう行動したか。Sさんとの距離がなるべく大きくなるようになめらかに船内を移動したのだ、Sさんがおもてにいたら私はとも。Sさんが下の port にいたら私は上の starboard に。そして、目が合ったりしないように景色をみるようにしていた。

大ショックだったのが、(この blog にすでに登場している)Rさんに「いとーさんもSさんもいっぱい知識があってすごい」と言われたこと。わたしには一般に開陳できる知識はほとんどないから、どうかお願いだから一緒にしないでくれー。

それ以来、聞かれてもちょびっとしか答えない人になったかも。相手が欲しがらない知識はひけらかさない、余計なことは言わない、これが基本。

誤解のないように、最後に念のため。 blog では薀蓄をたれて良い。面と向かっての会話と blog では事情が全く異なる。会話ではそうはいかないけど、 blog は読みたい記事だけ読んで、知ってる内容とか読みたくない内容は読まずにすませられるからね。

というわけで、私の内面に「薀蓄たれ」欲望があるとすれば、この blog に出してすっきりすることにしている。私と面と向かっても、この blog に書いてあるような話は全然しないし、空気を読むので、ご安心を。笑
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