2008-09-04

作文作成作法

国語の先生は、たぶん、
「白い白馬に跨って」
「天皇陛下の長男の皇太子」
と「作文を作る」と「誤りを訂正」する。

でも、重なってることがわかってて、修辞テクニックとしてわざと用いるのだったら、悪くないと思う。言葉というものは、もともと冗長なもの。コンピュータのプログラムじゃないんだから、一部分をダブってコピペしたってエラーで止まったりしない。冗長さのおかげで意味が正確に伝わることだってよくある。

英語で(論理的な)長い文章を書くとき、同じ単語をなるべく用いず、類語で言い換えたほうがいい。と、昔、指導された。これは、1つの単語を繰り返すと、万が一その単語が分からなかった場合に全体が分からなくなるからだ(本当のことを言うと、「教養が無いようにみえるからやめろ」って指導されたんだけど、それは理由じゃなくて結果)。冗長さを増すテクニックの1つと言える。とはいえ、日本語の作文作法だと、同じ概念には同じ用語を使え、と指導するので、真逆だけどね。

(漢字文化圏では類語で言い換えなくても、表意文字から意味が分かる。つまり、初めて見た単語であっても意味が分からない可能性はないので、英語の作文テクニックは不要。微妙に異なる語での言い換えは、かえって厳密さを損なう。)

日本語には中国語からのおびただしい借用語がある。ほぼ同じ意味を、漢字表記の熟語、本来の和語の2通りで表現できることはざらだ。1つの漢字に普通、音読みと訓読みがあるのもそのためだ。1つしか例をあげないが
「重複」と「重なる」
はほぼ同じ意味。ニュアンスは使い分けられているが、それは
「ケーブルカー」と「ロープウエイ」
が英語では同じものを指すのに日本では違っちゃったのと一緒。

実は「重複」。大昔の中国語では「重」だけで良かった(はず)。

中国語では漢字1文字は1音節。1音節は声母(頭子音)と韻母(母音と末子音と声調を合わせたもの)で定まる(と考えるのが音韻学の「反切」の概念)。ところが、長い時間が経ち、いろんな民族、言語がいりみだれたおかげで、発音はどんどん単純化した。これはどんな言語でもそうだと思う。

声母の2重子音はいいかげんに発声されるようになり、声調の区別はなるべくさぼられるようになり、末子音の入声はほとんど消失(北京語にはない)。その結果、膨大な数の同音異義語が生じた。つまり、漢字で書けば別の字なのに、発音は一緒。

発音してもどの意味なのかわからない。非常事態である。そこで、似たような意味の字を重ねて、誤解を防ぐようになった。(それを借用した日本語にも)2文字熟語がとてもたくさんあるのは、これもその理由の1つなのだ。

つまり、最初から言っているが、
わざとなら、重なってていいんじゃない?
が今回の記事の趣で旨で趣旨。コミュニケーションにある程度の冗長さは必要なんだから。そんなことにめくじらたてたところで、使ってる熟語が Made in China で、もともと重なってたりするかもしれない。だから、解消する必要はない、わざと意識的にぐちゃぐちゃ重ねがさね重複させて楽しくレッツエンジョイしよう。

いちめんのなのはな

ちなみに、タイ語には古代の中国語が残っている。だから1音節で用いられる形態素が多く、2音節化は進んでいない。逆に言うと、母語話者以外にはとても発音が難しい。ま、文字が(ほぼ)表音文字だから、その点は中国語や日本語より楽みたいだが。

あ、タイ語の勉強しなきゃ。

(蛇足:日本語にも漢字の音読みに古代の中国語が残っている。こう言っとかないと、タイ語に失礼なこと思う人がいるかも、と杞憂。)

未来へのリンク:上記の「類語により冗長さを増大させる」という、英語の修辞テクニックは、9月5日のエントリからリンクされている論文概要に実例がある。そこでは、難解だが正確な monogamos という単語と、平易だが誤解を招くかもしれない pair-bonding という単語とが併用されている。
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