
落書き禁止。
念のため:本物には落書きしてない。
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この(本物の)柱を立てる活動をしているのは、
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(本物の)柱に書かれている文言は、「霊」だの「神」だのを含むもっと長いお祈りの言葉の最初の一行目に過ぎない。お祈りの最初の一行目だけを提示すれば、まったく普通。宗教団体が立てているとは思えない。
実際、この宗教。霊だの神だのを強調していた時期は信者を獲得することが困難だったようだ。現在では、お祈りの一行目だけを「柱を立てる」形式で広める活動に特化し、その活動に従事する人を増やすことに成功している。こうなってしまうと、増えたのはもはや信者ではなく、「柱を購入し、立てる人」と呼ぶべきだ。
ある活動が持続可能であるためには過激じゃだめ。もともとがなんだったか全然わかんないくらいに薄めないと。なんか世界人類つまんない。。。
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今回の記事では、ある宗教あるいは活動の良し悪しを論じているつもりはない。中立的立場で書いたつもりだ。
実際、この記事の最初の一行目だけを提示すれば、まったく普通。私が書いているとは思えない。(笑)
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