2009-02-07

かえらずのあな



この間の父島滞在中のある日のダイビングの後、お魚マニアのお客さんに
「何でミナミイスズミを "ささよ" って言うんですか?」
と訊かれた。 "ささよ" は、すでにこの blog でネタにしたことがあるが、魚類の小笠原地方名の一つだ。

以前に見た、小笠原の地形図に "笹魚島" という地名が記載されていて、魚という字の上に "よ" とだけルビがあったのがなんだかかわいくて印象に残っていた。

それと、ウオ(魚)は歴史的仮名遣では "うを" であり、語頭の「ウ」は方言では「イ」に変化していることがあるので "いを" とも書かれることがある、のは知っていた(例:"うごく" [動く] の標準語 ←→ "いごく" [動く] の方言)。

だから、
「"よ" はウオって意味のイオですよ」
(ただし、発言の際、ウオとイオのアクセントは両方とも 低→高 で発音した)
といいかげんに答えた。そのためか、質問者はこの回答であんまり納得してくれなかった。まあ、こういうのは軽い質問のはずだから、あんまりごちゃごちゃ答えるのは蘊蓄たれで嫌われる。だから、その場はそれで終了。

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でも、 blog でならいくらでも情報を垂れ流しできるので、以下、もう少しだけ追求してみることにする。

まず、遠い記憶の確認。笹魚島の位置は国土地理院の地図閲覧サービスで2万5000分1「聟島」を見たら、東経142度7分30秒、北緯27度43分の付近だった。ルビは記憶通り。

次に、"うを" と "いを" の関係の確認。そんな作業をここでするのは、私が信じている
『もともと "うを" で、 "いを" は訛り』
は誤りで、
『もともと "いを" だったのが、 "うを" に変化した』
と主張する説があるからだ。江戸期の古文献の中にすらある、この変な説はぜひとも叩き潰しておきたい。そのために、日本最古の文献『日本書紀』をネット上で全文検索してみた。世の中便利になったものだ。

あと付けの訓点を排除した、日本書紀の本文には(魚が登場する場面ならば冒頭の段落や海彦山彦の話を始めとして他にもあるが)魚という単語の万葉仮名が見れる歌謡あるいは訓注は1つしかない:巻十七「継体紀」・歌謡番号97がそれで、「紆嗚」とある。おっと、96と97は有名な歌謡だったね、すごいえっちだもの。

幸いにして、巻十七は中国人が書いたことが分かっている(★)。そこで、漢和辞典ではなく、漢字の辞典を引いてみた:それぞれの字は「紆、影虞切」「嗚、影模切」。つまり、執筆している時代の日本語の「魚」の発音を著者の中国人が聞き取り、そのネイティブな唐代北方音で書き写したら、
紆: ʔʏu, ʔyu (平声)
嗚: ʔo (平声)
が最適近似だったというわけだ。(ただし、 ʔ は声門破裂音。子音がないよ、という記号だと思ってもよい。)

つまり、(上代特殊仮名遣でも歴史的仮名遣でも、とにかく)かなで表記するなら "うを" (注1)。アクセントまで分かってしまい、おそらく 低→高 だ (注2)。

めでたしめでたし。確認できる限りの大昔から "うを"。大昔の発音も現代の発音 'u'o にぴったり対応する(注意:大昔も 'u'wo とは発音しなかった)。

そしてついでに、日本書紀で "う" は、あるかないか聞き取れないくらいのほのかなイの響きを含んだ ʔʏu, ʔyu で音写されていることも分かった。だから、地方や時代によってはその響きが強めになり、実際の発音ではイオとかヨ(どちらもアクセントは 低→高)となっていたとしても不思議ではない。それを他の地方の人が聞き取り、その通りに文字に記したのが固定化して現在に伝わった、ということだと思う。そういえば、新潟県にある糸魚川という古くからの地名はイトイガワと、魚醤は、秋田ではショッツル(塩魚汁)、能登ではヨシル、イシリなど(魚汁)と言う。ほうら、訛ったまま固定化した音は、音の由来を知る必要のない固有名詞にだけ残ってるじゃない。

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★のこと、それからその後の考察に使った事実は、次の名著に書かれていることのほんの一部分を応用しただけ:

森 博達「日本書紀の謎を解く」述作者は誰か
中公新書 1502
ISBN978-4-12-101502-0

この本は、すごすぎて書評なんかをこの blog に書けようはずがない。p.229「結語」の後ろから3行目の衝撃的な一文を最大限に味わうには最初から慎重に読み解く必要がある。手元にいつまでも置いておきたい本の一つだ。

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注1: 2文字とも<影>母+合口韻なので「ウ」またはワ行と分かる。まず1文字目、[虞合三]韻には介音 -ʏ-, -y- (それぞれ準狭舌、狭舌の円唇母音を表す)が入ってるが、舌音系統以外のウ列には常にこの韻が使われているから "う" だ(この時代すでにア行とワ行の「ウ」は同一音価)。次に2文字目、[模合一]韻はオ列の甲類と "ほ" と "ぼ" と "を"、および、ウ列の舌音にだけ使われているから "を" だ(ちなみに、この時代の "お" の母音はオ列の乙類の母音 -ə と同じ音価)。

注2: 2文字目 "を" のアクセントが 高 なら上声か去声で音写されたはずだが、適切な漢字が存在しないため平声の「嗚」で代用された可能性がとても大きい。実際、もうちょっと時代が下ると "お" の音価が "を" に合流して同じ ʔo になってしまうが、その際、お/を の区別は 低/高 のアクセントの違いとなった。つまり合流以降ならアクセントはほぼ確実に 低→高。蛇足:もうちょっと時代が下ると、お/を が ʔo のアクセントの違いを表す符号であったことが忘れられ始める。音価が違うべきだという理不尽な要求のせいで、元々の ʔo を "を" は出て行った…ああ、可哀想に。ややこしいから、その後の "を" の物語は省略。(笑)

追記:2/7 20:31 に大きな辞書「漢字海」(三省堂)を見て少し訂正しました。
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