2009-08-16

引用は正確に

「グーグル情報革命の崩壊」なのだそうだ。

今、私は函館に居て、もうすぐ出発なのだが、そんな記事を見つけてしまった。どうしてもつっこみたい。そこで、めちゃめちゃ急いで書くことにした。乱文乱キーボードごめんなさい。

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元記事はグーグル情報革命の崩壊(1)−(3)という、Voice に掲載の長文だ。著者は山本一郎(イレギュラーズアンドパートナーズ代取)。キリスト教徒にしか分からない珍妙な引用が何箇所か出てくるため、論旨ははっきり言って不明だ。私のような先祖代々の浄土真宗信徒には分からせようと思ってないらしい。

それでも、むりくり要約すると。
英語が優位の現在の言語情勢の下で、グーグルによる情報の独占が進行している。それにより、近い将来、世界がフラット化し、世界中の人が同じ価値観を持つようになるに決まっている。それゆえ、現実社会がネット社会との対立を深め、これからさまざまな規制が敷かれ、自由が制限されるだろう。

つまり、あからさまにそうとは書いてないが、「グーグルを規制すべきだ」というのが、この IT 屋さん(?)の本当に言いたいことなのかな?と。

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論旨はいわゆる「とんでも」なので、反論しない。どんな価値観を表明するのだってその人の自由、ってのが、なにしろフラットなネットの特色だもの。

で、私がつっこみたいところは1点だけ:

聖書を引用するのなら、章と節の番号を明記せよ!

これは文章の説得力を上げるためには基本的なこと。もちろん、聖書の版によっては章と節の番号が異なっている場合があるが、メジャーな版で調べて、その版の名前も明記すると紛れがないよ。

さて、元記事「グーグル情報革命の崩壊(3)」に「ルカによる福音書」からの引用がある。
我、地に平和を与えんために来たと思う勿れ。我、汝等に告ぐ。然らず、むしろ争いなり。今からのち、一家5人あらば3人は2人に、2人は3人に分れて争わん。父は子に、子は父に。母は娘に、娘は母に

これは、聖書のどの版からの引用なのだろうか?章、節の番号も記されていないし…。一読して、日本語としてさっぱり意味が通ってないので弱った。

でも、いまは幸いなことにグーグルを使えば「ルカによる福音書」の全文検索は簡単だ。検索したところ、すぐにヒット。新共同訳版「ルカによる福音書」12章
(51)あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。(52)今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。(53)父は子と、子は父と、/母は娘と、娘は母と、/しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、/対立して分かれる。

が引用したかったのですね?「分裂・対立して分かれる」という言葉をわざわざ「争い・分かれて争う」に改竄したのは、「分裂・対立して分かれる」という語が、筆者の記事の冒頭のバベルの塔の崩壊のエピソードの引用を想起させ、それは、論旨に反するからですね?わかります。ははは。この著者、しょぼいなあ。(新共同訳版でも日本語がまだ不自然なのは、ギリシャ語では響きの良かった同義反復の韻文を、逐語的に訳したためと思われる。)

というわけで、迷える私なりの結論:
グーグルを上手に利用すれば、詭弁は通用しない。情報革命万歳。
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